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【はじめに】 |
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《阪町屋〜さかまちや〜》は
大阪市内のミナミに位置する「千日前2丁目」にあります。
「黒門市場」「道頓堀」「でんでんタウン」「なんばグランド花月」など
大阪の観光スポットに囲まれています。
祖父の時代から受け継がれた築約60年のの家屋を
最小限のリフォームで昔の良き趣きを残しました。
屋号を決めるのに迷いはありませんでした。
この家が建てられた頃の町名です。 |
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【〜江戸時代】 |
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豊臣時代に上町台地の西に仁徳天皇を祀る
御神体を移し「高津」と名付けられ『町』でなく
『村』と呼ばれていました。
上町台地を境に東が『東高津村』で西が『西高津村』。
阪町は『西高津村』に入ります。
この頃からこの一帯は少しずつ『町』へ変わっていきます。
そして阪町の誕生です。
なんと京都の伏見から移住した人々が命名したそうです。
しかも移住先は玉造で名前は『伏見坂町』。
その後、江戸時代中頃に現在地に移住して
『元伏見坂町』になり前を省略して『坂町』に。
『坂』は「土に反る」といわれ忌字としたので
『阪』を使ったそうです。
そういえば「大阪」も元は「大坂』。
江戸時代、『町』と『村』は門で区切られていたそうです。
それをくぐらないと行き来できなくて......
この門が黒く塗られていて......これが黒門市場の黒門です。 |
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【明治 〜 】 |
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このあとからは行政区画の変更が頻繁に行われます。
明治初頭は西成郡西高津村
■ 明治22年町村制の施行で難波村大字西高津の一部に
■ 明治30年大阪市に編入され大阪市南区難波大字西高津
■ 明治33年一部が南阪町へ |
↓明治45年当時の地図
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昭和18年ふたたび南区南阪町へ編入
■ 昭和57年住居表示の実施で南区千日前と表記
■ 平成元年東区との統合で中央区へ。
■ 明治〜昭和の激動の時代は住所表記も激動です。
実は現在の千日前2丁目は阪町より千日前通りをはさんで
南に飛び地として存在してたので南阪町なんです。
だから『阪町屋』は本当は『南阪町屋』なんですが.....
昔の人に習って呼びやすく響きがよい『阪町屋』となりました。
■ 今現在、
阪町周辺には昔の面影が消えつつある今日この頃....
なんとか『阪町屋』で歯止めをとも頭の隅で感じています。 |